歌で生きていこうとしていた若い女性が偏執者によって生を閉ざされるかもしれない。言葉では尽くせないほど痛ましい事件が起きてしまった。何の落ち度もない被害者に、身勝手な妄想を抱いた一人の男。その過程は分からないでもないが、それ程まで執拗に想いを抱くことは、理性を持った人間としては理解できないことである。

「地下アイドル」という言葉に違和感を覚える。地下=アンダーグラウンド=アングラ、わたしたちの世代は、それは猥雑なものであったり、世間から眉を顰められるものであると捉える。この言葉がニュースで読み上げられる度に、わたしは不快に思う。小さな小屋(ライブハウス)で頑張っている女の子達に、猥雑な響きは似合わない。

会いに行けるアイドル、身近なだけにこの加害者のような「勘違いオトコ」を生む要因にもなっていると言われているが、ここまで妄想を膨らませられたのでは彼女たちもたまったものではない。

ただ、これは「飲み屋のネーちゃんに入れあげるオトコ」の構図と同じだと思う。プロのネーちゃんは、決して色気だけで客を繋ぎ留めたりしないものだが、哀しいかな、オトコ共は金を握りしめて足しげく通う。

「腕時計を贈る意味が分かりますか?」と加害者はメッセージを送っている。

わたしもかつて、共に生きていきたいと思えた女性に時計を贈ったことがある。同じ時間を共有し、共に歩み、老いて行く。加害者がどんな意味を持たせていたのかは現時点では報道されていないが、同じような想いだったのかもしれない。幸い、わたしの場合は、さほど長い時間を共有したとは言えないが、想いは届いた。

この事件の加害者の供述はまだ明らかにされていないが、どうやら「自分の想いを押し付け、それに対する見返りを要求していた」ように感じる。

「僕はこれほど君のことを想っているんだ」

「なのに君は、どうして僕の想いに応えてくれないんだ」

わたしは、数年前に個人サイト小説にも書いている、

「人を愛するとは決して見返りを求めないこと」と。

だから、見返りを求めた時点で、それは愛とは言えなくなり、邪恋に変わる。本能のおもむくまま女性を求め、理性というブレーキがきかなくなる。まさに野獣が生殖のためだけに異性を求めることと同じである。

この加害者は人を愛したことがないのだと思う。もしくは、これまでの恋愛ではいつも成就し、自らの想いを否定されたことが無かったのか。

「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉に嫌悪感を覚える。

この言葉を肯定することは、今回の加害者の行動を認めることである。

日本にはこんなコトワザもある。

「去る者は追わず」

想いが届かなければ、愛する人に去られたら、そこで終わればいい。

偏執者とならないためにも、自らの想いを断ち切ることも大事である。たとえそれが辛いことであっても、その積み重ねが自分の糧になると思って。

未だ意識不明の状態にある被害女性の、一刻も早い回復を祈る。

written by Yoshinobu Iriguchi